”たべる”でいきる。

すべてのお野菜を通じて、今よりもほんのちょっとだけ幸せな食を創っていきたい、24歳八百屋の日記です。

【食の感度を切り口にして、神戸の可能性と危機感を、自戒を込めて】【73話】

こんにちは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。

 

だいぶお久しぶりなのですが。

 

ここ最近、ありがたいことにたくさんのコラボやマルシェ出店のお声がけをいただきましてバタバタとしておりました^^;
 

 
今回は11/2(土)に行わせて頂いた、
『ワインと、カカオと、お野菜とのコラボ』
を通して感じたこと、これまでの八百屋で感じたことをまとめました。
 
 
長文になりますが、

『食への感度』

言い換えれば、

『単に食べて、美味しかったね、はい終わりではなく、それ以上に食というものに生活や文化、経済を豊かにする意味を持たせようとする姿勢』

を切り口にして神戸を考えてみました。
 
 
神戸の現状に対しての可能性と危機感。
相反する二つを書いてみました。
 

終電の中で感じた一つの可能性

 

食を本気で、楽しんで語る者同士が合わされば、
目に見えない”美味しい”は他の人にも伝わるのだ。

そんなことを2日の深夜、終電に乗りながら感じておりました。
 
 
 
ワインのスペシャリストの Nouaisonさん、カカオはもちろん素材、調理法に造詣が深い JHOICECEさんとの今回のコラボ。

 

「野菜もカカオもワインも。今この一皿、一つの雫になるまでに経てきた物語がある。生産者さんとの話、生育の話、どれをとっても知りづらいし、知ってたべたらより美味しいと愛着が増すでしょう」

 
シンプルに言えば、
”もっと、その一口を、美味しくできるよ”
 
 
そんなコンセプトではじめてみたのが今回のコラボでした。
  
  
 
毎週農家さんたちと顔合わせて聞いてきたお野菜や農家さんの紆余曲折をどんな言葉で、どう伝えたら。

どう一皿に表現すれば、よりその一口は美味しく感じ、その感謝だったり、驚く気持ちが農家さんに向くのか。
 
  

造詣が深い方は、こういう捉えどころが難しい価値を形にするのが本当にすごいですね。

 

お野菜の土の香りや本来の味の濃さ、鮮度の良さを表現するために、NOUAISONさんはさながらオレンジの香りがする、オーガニックワインをセレクトしていただき。

 

JHOICEさんは”極力手を加えない”、引き算の形で、一番にお野菜たちのそれぞれが持つ粘り気や香りやコク、農家さんの性格や特徴が伝わる味わいを引き立たせる一皿にしていただき。
 
 
 

不安とちょっとした自信

迎えた当日。

僕は内心、すごく不安でもありました。

美味しいとは、ひどく個人的な主観のもの。だからこそ、僕らは通じ合えて驚き、楽しみあえた美味しいがあったけど、この”矛先が生産側に向く美味しさ”は伝わるのかな?と。


とは言え、不安がってお客様をお迎えするのは失礼。
改めてこれまで踏んで来たことを脳内で噛み締めて、一心不乱に、楽しく農家さんのこと、お野菜のことを話して、その空間を味わっていただきました。
 

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冒頭に戻ります。

不安はちょっとの自信とこれからの期待に変わりました。

 

「野菜ってこんな味がするんですね」
「これはどの方が作られているんですか」

 

来てくださった方々が、口々に満足そうにそう話してくださることを肌で感じ、言葉と美味しいの感情を共有できたからでした。
  


この


”既存の動きの延長線上で考えて生まれる不安が、予期せぬ期待に変わる”

ことこそ、コラボの魅力であり、

 

・大事にする”ルーツ”は同じだが
・表現する場所が異なる
・しかし同じ一皿の上で”ルーツ”を表現できる

 

もの同士で今回のように表現できたとしたら
神戸の食のシーンにて、より神戸の農家さんに思いを向けられる時間が作れるのでは、そんな可能性も感じました。
 
 
 
一方で危機感も。
  
 

「これいくら?」の厚さ

それは、八百屋をやってみて特に感じる肌感覚に起因しているのですが。
 
 
声高に”食の見えない美味しさ/価値”を叫んだり、綺麗に見せたとしても


「んで、結局、これはいくら?」


で終わってしまうことが多いということ。
 
 
こと食領域においては、必ずモノ(お野菜や料理など)が存在していて
『食の感度(コト)』に訴えかけて、これどうですか?と提案した場合に

 

「(コトについて)なんとなくわかったけど、んで結局(モノは)いくらなの?」

 

に話が行きがちで、取り組みの難易度が高いということです。
 
 
もちろん僕の表現の仕方や広報の取り組みに改善点ありまくりなのは大前提なのですが、

それにしても東京方面や海外で同じような動き方、取り組みをしている知人たちのムーブメントの大きさに比べたらすっごくしょっぱい。
 
 
「その価値に触れられる/試してみる」
の土俵に乗る、今回のコラボでいうと集客になりますが、ここに至るまでのハードルがものすごく高い。

 

(余談ですが、体験系/豊かさ系サービスなどの”コト”を提供するものはなかなか関西では根付かないそうです。
確かに関東でいい動きだった旅行系サービスや貸し農園サービスも振るわなかったケースが多いですし。)
 
 
 
話を戻しますが、コト的な価値が広まりにくいことを環境のせいにしようとしているのではないです。
自責にせず、それをしだすと退化していく気がするので。

 

 
一般論としてコト価値がモノ価値よりも伝わりづらいということを考慮しても
事実として、モノ価値優位の割合が他地域と比べて高いのではと感じているということです。
 
 
 
だからこそ、自戒の念も込めてですが、コト価値で文化的にも経済的にもより幸福を生める神戸にしていくのならば、

 

・表面的な狭義の意味でのデザインでオシャレに整えようということではなく
・デザインの中でもよりマーケティング/ブランディングと重なる領域が広い部分に対してスペシャリストから学び、実地で還元する

 

ことに本気で取り組まないと、広まらず、伝わらず。
経済も回らずかなり疲弊するなと思っています。
(正直、現にmocchiでもかなり疲弊してしまい、ペースを落としているコト系の取り組みはたくさんあります。)

 

そんな危機感から、AKINDさんからブランディングを学ぶ取り組みに応募し、mocchiを題材にどう伝えるべきかを学び始めました。
 
 
 
とここまで書いてきて、主観ですごく生意気なことを言っているなと自分でも感じてます。
やっと八百屋で質素な暮らしを営めるようになったくらいの若輩者なので。

 

ですが、いろんな方々と歩みをともにさせていただく中で、この人たちの恩義に報いたいなという思いが広く強くなりましたし、
日本のいろんなシーンをぐいぐいと引っ張っていっている同期たちをみていると、正直めちゃくちゃ悔しくて不甲斐ないこともあります。
  
 
先日、大学の時の同期で、めちゃ仲良い子と飲みました。
足元しっかり固めて動いていたとしても、視座は高く持とう、そう思ってのこの長文でした。
 
 
 
もし最後まで読んでくださった方、いらっしゃいましたら本当にありがとうございます!

【声の郵便屋さん、始めます】【71話】

こんにちは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。

 

だいぶお久しぶりなのですが。

 

新しい僕らの取り組みをつらつらと書いてみようかと思います。

 

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「このお野菜、ほんまに美味しかったわ〜!」
「このきゅうりだとうちの子、盗む食いするくらい食べちゃうのよ」
 
 
お野菜をお届けできる方々が少しずつ増えていくにしたがって
そんな嬉しいお声をいただくこともグッと増えてきまして。
 
 
そんな中で至った想い。

「このお声こそ、農家さんに届けたいし、僕らだけで終わらせてしまってはもったいないもの」
 
 
そこで、mocchi、新しい取り組みを始めてみます。

題して

【声の郵便屋さん】
 
 
 
・1枚220円で買えるお手紙です

・思わず伝えたくなっちゃうお野菜の感想を”書く”

・切手もすでに付いてるのでポストに”出す”だけ

・mocchiのもとにみんなの声がのったお手紙が”届き”、それをmocchiが農家さんに直接お渡し

・農家さんの反応やみんなと共有したい嬉しい声はインスタグラムでみんなが見れる

そんな取り組みです。

 

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普段のmocchiのお野菜販売、マルシェなどの出展イベントにてお手紙は購入いただけます。
 
 
 
なんで”手紙”なのか。

それは結構シンプルで、

『声という目に見えないけれど、確かに人の心に残るものを手触りある形で残したい』

そう思ったから。
 
 
疲れた時、いや、何気ない時こそかもしれない。

僕らmocchiと一緒に過ごしてくださる農家さんたちのひとときに、「がんばろ」って思える手触りある瞬間を届けることが出来たとしたら。
それが農家さんと食べ手のどちらにも距離が近い、僕ららしさだろう。
 
 
LINEやメールで言葉をデータに載せて育ってきた僕らだからなのか、なぜだか”わざわざの手間”というものにすごく惹かれのかも。
 
 
 
僕らmocchiはどうありたいのか?
 
 
どこまでいってもそれは一つで。

【農家さんと食べ手のどちらともこころの距離も、物理的な距離も近い存在であり続ける】

ここにつきます。

そんな僕らだからこそ、農家さんの
「急に手伝って欲しい事情になった・・。」
とか
「やりたいけど、そこまで出来ないよな、販路開拓・・。」
などのいわゆるな農業課題にゆるく、でも本質的に切り込んでいきたい。
 
 
大きく見える社会課題こそ、緩く、日常生活の延長で芯を食った解決に迫る
 
 
あまり言ってきておりませんでしたが、僕らmocchiはそういうやり方と空気でもって、神戸から日本、世界にふわっと、確かに進んでいきたい、そう思ってます。
 
 
 
話が大きくなったので、一旦もとの場所に。
 
 

僕らはまだまだ未熟だけど、未熟なりにできること、やりたいことを楽しんで形にしていきたい。

最後に。
この声の郵便屋さんに込めた僕らの想いを。
 
 
 

===================

ただお金を払って、ただ野菜を買う。
それで終わりなら、お腹を満たしているだけ。

「このお野菜、美味しかったよ。」
「ありがとう。」
お金を払ったその先の声。
その声が農家さんと通い合えたなら、こころも満たされる。

おなかもこころも、mocchiと満たそう。

声の郵便屋さん、はじめます。
 
 
2019年10月5日

mocchi マーケター 仲岡里穂
mocchi デザイナー 木村有希
mocchi 代表 佐々木純

【”mocchiさんのお野菜”で選ばれないことが目標】【70話】

こんにちは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。

 

GWが一番バタバタとしていた感じですが、

その分たくさんの方々に農家さんをお伝えできたのにホクホクしております。

 

さて、今回は

 

”mocchiさんのお野菜”で選ばれないことが目標”

 

ということを軸にしてみよっかなと。

 

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あいだの人間

モノやコトを作る人がいた場合に

その作り手が自分だけではその価値を広く、正確に伝えられないとき

”あいだの人間”

が必要になってきますよね。

 

 

今はその”伝達”領域を行うコストが圧倒的に下がり、

正確に広く伝える効用は上がっているので

作り手自らが発信をするということも多くなっているなとは思うんです。

 

そうは言ってもなくならない”あいだのやること” 

ただ、現実問題。

一つのモノ/コトの生産に対して

A)知的、身体的、精神的疲労度が大きすぎ たり、

B)そもそも”伝達”自体が苦手領域 だったりして

 

「発信したくても発信できない」

 

ことはとってもざらに起こっている事だと思います。

 

 

そしてこれらの問題にはシビアに効いていることがあるなと思っていまして。

 

生産しているモノ/コトが一定程度(理想ではないが不足はしていない程度)

届けられている=売上が立っている場合には

相当な動機付けがない限り、

伝達は”あくまでできたらいいよね=プラスアルファ”の位置から脱しにくくなるなと思うんですよね。

 

すると、優先度が下がったそれに対してA)、B)状態の時に果たしてやろう!となるのか?

大方の人はならないんじゃないでしょうかね?

 

 

でも、心のうちでは

「正確に、広く伝達できたらそりゃいい」

と思っている。

 

だから、伝達、つまりは”あいだの人間”がやることって

テクノロジーによって発信のコストが下がり、効用が上がって作り手自身が発信できるようになったとしても無くならないなって思います。

 

”mocchiさんのお野菜”で選ばれないことが目標 

前置きが長くなっちゃいましたが、

僕がやっているお仕事も

【農家さんと消費者の間の人間】

のものなんですよね。

 

農家さんのこと、農家さん自身が気づけていない魅力を

広く正確に伝えることで

より多くの消費者のかたたちの暮らしに”あってよかった”の感情をもたらし、幸せになってもらう。

 

これが僕、八百屋さんの使命だなと思っていまして。

 

 

日中は強い日差しの中にいて
5月入ってからは特にお野菜の植え付けやビニールハウスの建設、土木系の作業が立て続けに入って来てとっても体力的にしんどくなる。

農家さんたちはそんな時期に入って来ております。
 
 


よく


「mocchiさんのお野菜」


と言っていただけるのですが、

 

”あいだの人間”のmocchiとしてはどこまでいっても


【〇〇さんのお野菜】


と、農家さんのお名前が一番に出てくるようにお野菜を扱わせていただきたいなと。

 

 

決して

”ウチ(mocchiの意味合い)のお野菜”

ではない。

あくまで

”〇〇さんのお野菜”
 
 


「大変だよ〜、だから応援しよう!」
という同情ではなくて。


「それだけ大変でも黙々と美味しいお野菜を作っていらっしゃる農家さんってかっこいいね」
とお客様に思ってもらい、そこから食べ手の皆さんの日常生活にちょっとでも畑や農家さんが登場してくる。
 
 
 
・ご家族でのお出かけ
・お子さんへの食育/職育
・自然の中で目一杯からだを動かす
・心落ち着く自然に目を向ける
 


そんな一見すると、
【自分のため】に行なっていることが
【農家さんのお困りごとの解決】に繋がっていた、
そんなつながりを作りたい。
 
 
 
少しづつその形が小さくとも実現して来た今、
改めて明日も農家さんのこと、お野菜のことお話ししていきたいと思います。

 

【無意識で太い針は確かに静か】【69話】

こんにちは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。

 

 

今日はエッセイ調でつらつらと。

 

想像する読み手は将来の自分と今苦境に立つ人たち。

こういう文章は自己満上等で書き殴っていきます。

 

 

 

 

ミジンコ

「ああ、この人は僕の存在すら何も気にしてないな。目の前にいるのに。」

 

そう感じることは少なくない。

その時の僕は、心の内にそのひと時で生まれることになった渦巻く感情をひた隠し、幾度かは殺し、挨拶をして次の予定に向かう。

 

この時ほど惨めで、悔しくて、自分という存在のミジンコさに頬を打たれることはない。

多分、それはそよ風でしかないが、僕にとっては足元をぐらつかせるに十分なほど威力のある拳だったりする。

 

太い針

 

言葉、表情、目の動き、姿勢。

 

それらは時に無意識の太い針となって、静かに、誰にも見えず、でも確かに僕にだけ見えるその形をとって。

恐れを与える間も無く、瞬間で僕の心に届いてしまう。

 

 

 

傲慢だ。

 

相手がじゃない。

僕がだ。

 

 

常日頃、社会に自分という存在を晒し、

「自分は何の価値を社会、目の前の人に提供できているのか」を問われ、

その度ごとに危うく揺らぐ。

 

その渦中で自分という存在を心にとどめておく為には

どうしたって”自尊心・プライド”が必要になってくる。

 

まだまだ道半ば。

社会を実際によりよく動かした実績もない。

そんな自分はわかっている。

けれど、その現実を一旦置いておいて、

理想の自分に添わせて、下駄を履かせて、ちょっとばかし大きく自己認知して、帳尻をとっている。

そんな自分もいる。

 

 

 

だからなんだ。

 

「何で自分に注意を払ってくれないんだろう」

下駄を履いた自分を持ち出すから、そんな風に心の奥底、どこか見えないところでそう思っているんだ。

 

等しくエゴに。

 

冷静に見ろよ。

まだまだ未熟で、未完の野郎なのが現実。

そいつが他者からの目を気にしていてどうする。

まずは自分の存在を証明しよう。

他ならぬ自分のために。

等しくエゴに。

 

 

隣の芝生が青く見えたり、時にいろんな感情が渦巻いて

不安になり、落ち着かなくなるのもそりゃわかるけど。

それを気にしていて自分は熟するのか。

 

 

死なない限り生きていける。

 

明日も息をしているはず。

大きく息を吸い込んで、グッと踏み込んで、足元一歩踏み出していこう。

【八百屋の在り方について八百屋歴2年の僕が思うこと】【68話】

こんにちは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。

 

 

色々とあって人生おもろくも、なかなかにハードなんだなと感じる今日この頃。

最近はアマゾンプライムでしんちゃんの映画を流しながら仕事してます。

 

さて、今日は

八百屋さんの在り方、ひいては小売りしている人の在り方について

ふと思ったことを書いておきたいなと思います。

 

”モノ価値”

ではないところで勝負する人は

”モノ価値”

とどう向き合うべきなのか?

にちょっとだけ触れました。

 

 

 

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お野菜販売の合間に

 

毎週月曜日は宅配&御影で露天販売なのですが。

 

お野菜に触れながらふと思ったんです。

 

 

 

”お野菜がすくなる端境期だからこそそこで真価を問われるのが八百屋さんだなぁ” 

 


今、神戸の農家さんはお野菜の変わり目の時期でかなり品目が減る時期に入っています。



もちろん、mocchiでやりとりしている農家さん方も例外ではなく、一時的とはいえ、全くお出しになるお野菜がなくなる方も多くいらっしゃいます。
(その中でも夏に向けて黙々とコトに向き合う農家さんの姿勢が本当に素敵でかっこいいんです)

 


そこで問われること

 

なので、当然売り場に並べられるお野菜の品目数も少なくなります。
スーパーなどに比べるとお野菜の種類も若干少なく、お客様によってはがっかりされることもあるかもしれません。


ですが、このお客様の”がっかり感”はお野菜自体のモノ訴求を店の一番のウリ(=価値)としてる場合に起こりやすくなるのだと思うのです。


お客様がそこにある”お野菜”を一番に期待しているのであれば、
そのお野菜が少なくなる(もしくは無くなる)と満たされる期待が少なくなる、そしてそれはお店に行く動機が減少していく、そんな流れです。



だからこそ、mocchiが改めて体現しなくてはと思ったことは、

 

・お野菜を扱う八百屋さんである以上、”お野菜というモノの価値を最大限高める”ことは前提条件

 

・それ自体が店の唯一で一番の価値であるのではなく

 

・次に出てくるお野菜が楽しみという気持ちにお客様になって頂けるように情報を伝えること

 

・お野菜が無かったとしても”常にそこにある”mocchiだけの価値を尖らせること

 

・それは”農家さんのこと/お野菜の背景を丁寧に伝える”、それを知ることで食卓で今まで気付かなかった美味しいに気付けること

 

 

かなと思ったんですね。



"何を価値と感じてもらってお野菜を買っていただくのか"
常に突き詰めていきたいです。




あ、実はひっそりとなのですが、販売日数と拠点を拡大させて頂きました。
頂いたご縁を大切に、明日は新しい拠点で新しい方々に農家さんのこと、お野菜のこと大切にお届けしたいと思います。


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<新販売拠点>
✏️greenfieldさん前
https://higashinada-journal.com/spot/3317/

<販売時間>
火曜日、12:00~17:00頃

<お野菜たち(一例)>
✔ひろたにさんのイチゴ章姫🍓
✔おおなかさんの玉レタス
✔いながきさんのフルーツトマト
など10数種類

 

 

 

 

 

 

 

 

【”余白を持った生き方”をしてみて変わったこと】 【今年一年の抱負】【68話】

こんにちは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。

 

歳を一つ重ねるたびに、一年という時間の歩く速さがどんどん早く感じる、今日この頃。
気付くとすでに2020年になっているんちゃうかと、新年早々あわあわしております笑

 

大分お久し振りになってしまったブログ・・・。

昨年の振り返りと今年の抱負からリスタートしたいと思います・・。

 

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ゆとりある生活をしてみたんだけども。

昨年は”ゆとりを持った成長/余白を大事にした生き方”で無理しないことを実践してみました。
今これからの時代、僕らの世代の多くが大事にしようとしている生き方かなと思うのですが。

 

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農家さんの畑、朝


その生き方を実際にやってみて、個人的にいい示唆を得られたな〜と思ってます。

 

昨年10月くらいまでは心身ともに「ちょうどええなあ」状態でした。

 

充足してました、佐々木。

 

「余白、あってる!好き・・・。」

となってました。

 

 

が、12月。

 

一年を振り返ったとき、自分への悔しさがふつふつと湧いてきたんです。

 

あら?っとなりました。

結構好きな生き方ちゃうかったっけ?っと。

 

 

クリープ状態

2019年になり、ミスタードーナッツでドーナツ食べながら「なんでやろ?」と自問自答しているとちょっと見えてきて。

 

 

 

 

”慣れ”でした。

 

 

悔しさの原因は。

 

 

ゆとりで走る、車に例えるならアクセル踏まずに進む”クリープ状態”で走ることに慣れすぎていて、

「ここやぞ」っていう勝負所でガッとアクセル踏んで最大出力で走りきれなかった自分がいました。

 

 

最大出力癖がないもんだから”勝負所を察する嗅覚”も育っていなかった。
 
 
 

車で例えると


”人生の余白を大事にして豊かに生きていこう”は本当にとても大事と痛感してます。


働く時間と場所、一緒に過ごす人、成し遂げたいこと。

その全てに余白を持たせてあげることで心が窮屈にならずに生きてこれた。

 


車っていう例えはすごく考えやすい、やっぱり。

 

 

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どんな景色を見に行くか


あたり一面に海が見える浜辺に行こうとしていたとして。


旅程に多少のゆとりがないとガソリン尽きそうになってるんだけど、ガソリンスタンド寄れない。

 

そして焦る。

 

海岸線から見えた景色、道中出会う人たちとの会話、色々楽しめたはずのことが楽しめなくなるのと一緒で。


自分という人間を動かすガソリンを補充するための余白がないと人生楽しめるところも楽しめないみたいです。
 
 

深呼吸したい未来の世界


実現させたいものがあって、その手触り感を感じられる未来がずっと先でもいいのであれば、ゆったりペースで、余白たくさんの旅程で全くいいと思います。

 


でも、ゆったりペースで昨年歩んで来て、

 

「あ、mocchiが作りたい未来を1秒でも手前に持ってきたい」

って心底僕は思えました。

 

 

目的地に早くたどり着きたい、開けた青一面の海、その絶景を早く見て見たい、そこで目一杯深呼吸したい。


そんな感覚です。
 
 

予定調和の成長をぶっ飛び超える


去年は、クリープ状態で走りすぎたので「一体、俺何キロでるねん?」「いつになったら目的地着くねん?」とモヤモヤがつのりました。

 

 

クリープ状態、つまり前に進んでいるんだけど自分に余白がある状態は絶対に必要、でもアクセルをぐっと踏み込むことも必要。

 

 

”アクセルの踏みどころの見極めと最大出力で走ってみること”

 

 

これを大事にしながらも、法を犯すようなこと/人として不誠実なことをしない、という意味でしっかり”制限速度”は守って、今年一年走っていこうと思っております。

 

 

どんなにパツパツになっても、素直・謙虚・誠実を忘れない佐々木純としていれるように精一杯人生を生きていきます。
今年も何卒よろしくお願いいたします。

 

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mocchi始まりの一枚
 

【期待しない事が大事】【畑に沢山の人を招いた経験からのお話です】【67話】

こんにちは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。

 

今日は、最近の農業体験を振り返ってみての学びをちょっと文字にしてみます!

 

”人の繋がり・温かみ”

を価値に感じている方、そこでしっかりビジネスとしても回していきたいと思っている方向けに書いてます。

この文字をきっかけに色々話せたらな〜なんて思ってます。

 

題して

 

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 この前のくさぬきお手伝い

 

先週の日曜日に、いつも仲良くさせてもらっている稲美町の松井さんの無農薬米の田んぼでくさぬきをして来ました!

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きゅうりの雌花と雄花は一緒にあるんやで〜と伝える松井さん

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ご家族参加が2家族、社会人の方も来てくださってみんなで写真!



 

当日は幼稚園年長さん、小学校低学年のお子さんも来てくださって、畑での時間があっという間でした☺️

 

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草抜きのお手伝い後に炊きたて白飯をぱくり。おにぎり6個食べる子も笑

当日の感想や皆さんの様子はmocchiFacebookページに譲る事にして、

ここでは”畑で人を結ぶ事”について、僕が実体験を何度も繰り返して来て、最近腹落ちしたことをシェアしたいと思います!

 

 

畑に来る事にどんな期待をするの? 

 

<農家さんも、来る側も相手に期待しすぎない>

 

 

ネガティブにも聞こえるのですが、全くその意味合いではないです。

農家さんと畑に来る側が継続的につながるためには、自分が行った事に対しての見返り、相手に対しての過度な期待を持たせてはいけない。

 

もっと正確にいうと、

 

”畑に来たことへの期待値を金やモノに求めてはいけない”

 

ということです。

 

 

 

人が何か行動を起こす時、その行動を意思決定する背景には、必ずその行動がもたらしてくれるであろう期待値が隠れています。

その期待しているものが他の行動で得られるものよりも良さそう、その行動じゃないと得られなさそうとなると人は行動を起こします。

 

 

これは”畑に人を迎える・人が来る”という事柄においても言えることです。

 

その期待を金やモノに置いてしまうとどうなるか?

僕はそれらを期待値に置いてしまうと、継続性に欠けるって思ってます。

 

 

お金を期待にした場合こうなる・・。

お金による報酬にすれば、”思ってたよりも議論”が発生してしまいます。

 

 

農家さん側:「これくらい払うんやから~~~位は動いて欲しい」  

 

畑に来る側:「こんだけやったんやから〇〇円は欲しい」 

 

せっかく繋がった人の繋がりが、お金を媒介にして繋げようとすると、期待値ズレが起きて結局継続性には乏しくなります。

(僕はこれが数ある農業体験系、お手伝い系がうまくいかなくなる理由のうち大きなものと思ってます。)

 

 

モノを期待にした場合こうなる・・。

 

では、お野菜やモノを見返りにあげる事にするとどうなるか。

 

 

 

農家さん側:「台風やらで今畑に何もないぞ・・・。でも、来てくれるからあげなきゃ。」

 

 

 

畑に来る側:「・・・。そっかもらわれへんのか・・・。」

 

一見すると外見上は繋がりがあるように見えますが、これも継続性は乏しいです。

言葉にして言われへんし、期待していたモノが提供できない、Get出来ないとなると、農家さんは負担、来る側はがっかり感に繋がりますね。

 

 

一発屋芸人みたいな感じ

つまり、人と人を繋げる誘引条件を金やモノにすると、それらは

 

・”思っているよりも足りなくなる不安定性”を孕んでいる

・その不安定性は時間を経過しても(複数回イベントをやっても)逓減する事はない

 

という性格を持っているので、”長いこと人をつなぐこと”には不向きなんだと思います。

一発の人を惹きつける力は強いですが。

 

 

継続性の鍵は”愛着”

なので、僕は

畑で農家さんと食べ手が出会った時に感じる、

 

・農家さんの人柄の素敵さ

・畑に来た側のパッと開く笑顔やポジティブな気持ち

・その瞬間、空間にたくさん行き交う”思いやり”の気持ち

 

この辺りの価値を最大化させる切り口を探して、伝わるように形を整えて、みんなが自然と何度もその価値に触れられるようにしようと思っているのです。

 

なぜなら、金やモノと違って、人に依拠する魅力(話がすごくためになるとか、笑顔がほんまに癒されるとか)は触れる回数が増えれば増えるほど(複数回イベントを行えば行うほど)愛着というものに形を変えてくれて、それが継続性の鍵になるって学んだからです。

 

 

僕らは農家さんと食べ手がつながることってほんまに価値だと信じてるので、社会に長く、広くその価値を広めていくために”ビジネス”という手法をとっています。

その観点からも、

 

「愛着がどれだけそのサービスを満たしているのか?」

 

を一つの観点にして推進していく、間違いなく赤字で潜る時間は長くなりますが、一度その愛着度が閾値を超えた時には足腰しっかりしたビジネスになり、

一見すると”儲かる事につながらない”と思われる、”しなやかな人の繋がり”・”思いやり”・”人の温かみ”がしっかりお金も動かし、社会を動かしていく、そう思ってます。

 

 

これからの1歩

 

とはいえ、まだまだ駆け出し、出来ないことが多いです。絶賛潜り中です笑

僕らmocchiは派手なことは苦手で、発信も下手くそなのですが。

 

幸運な事に、人としての生き方、商売人として生き方、事業のこと、組織のことを教えてくださる諸先輩方、お客様、同世代の同志、素敵な後輩達が本当にたくさんいらっしゃってくれます。

ほんまに大好きな神戸、農家さん、お客様にしっかり恩返しできるように、今日も目一杯、無理なく精進していきます!