【”食べる”を生業にする八百屋の僕が”おいしい”を科学してみた話】【61話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
今日は、
「食を通じて〜〜〜したい!!」
という人に向けてのブログです。
その名も・・・・。
【”食べる”を生業にする八百屋の僕が”おいしい”を科学してみた話】
美味しいっていう感情はよく聞く表現で、あちこちで耳にして、目にしますが。
僕は八百屋で、お客様の”美味しい”の感情に寄り添ってお野菜をお届けしているので特に起業してからは”美味しい”ってなんやねんということを考えてきました。
今日は、ありふれている”美味しい”という感情をちょっと分析してみました。
僕なりの考えは、
美味しいには3種類あるぞ!!
さて、参りましょう。
1:五感から感じる”おいしさ”
見て、香って、聞いて、触って、口に入れてみる。
そのそれぞれで感じることのできるおいしさが一番イメージつくものじゃないかなって思います。
一番身近なおいしさ。
そして、これは僕なりの解釈なのですが、
<見る、香る、聞く、触る>
によって想起されるおいしさに結びつく感情は
<口に入れる>
ことで最終的に感じるおいしさを増す役割があると思っています。
例)炊きたての白米
見る:ホカホカと湯気が立つお米の姿から感じる
香る:炊きたての甘〜いお米の香りから感じる
聞く:炊き上がる時の”ふつふつ”の音から感じる
触る:しゃもじでよそった時のホワホワの感触から感じる
口に入れる:しっかり立った粒と噛むたびの甘さから感じる
つまり、簡単にいうと
見る、香る、聞く、触る=おいしそう
であって、
口に入れる=おいしい
であるっていう感じかな〜
なので、五感で感じるおいしさとして必須の条件は
”口に入れて舌の味覚を刺激すること”
であって、それ以外の要素は必ずしも必要ではない。
このおいしさの特徴は
瞬間的に感じる
バチっと一気に刺激がくるから分かりやすいものなのかなと思っています。
2:脳・心理から感じる”おいしさ”
このカテゴリの美味しさをmocchiでは提供しようとしてるんですよね。
”このおにぎり、風邪ひいたおばあちゃんが早起きしてわざわざ作ってくれてん”
"このきゅうり、猛暑のハウスの中、手間惜しまず○○さんが作ってくれたんよね"
旨味や甘さ、苦さといった数値的な美味しさはもしかしたらコンビニで売っているものと変わらないかもしれない。
ただ、その手の平にある食べ物が持っている、ここに届くまでの物語に自分を思いやる”誰か”の愛情・思いやりが含まれていて、
それに食べる側が心動かされ、じんわりと「うま〜〜・・・・。」と心がしみる。
そんな想像力を掻き立てる、言い換えると脳や心理を刺激するおいしさもあるなって思うんですよね。
このおいしさを感じるには、そもそも論として
・”想像力を働かせるスイッチ”として食べ物が持っている物語を語れる人や仕組み(動画など)
・想像力を働かせるくらいには十分な心の余裕
・想像力を働かせるくらいには十分な時間的余裕
が必要だからこそ、現代の生活ではあまりこのおいしさは感じにくく、逆にこのおいしさを知っている僕らmocchiは「届けたい、このおいしさ!」となっているんだなと思います。
3:環境から感じる”おいしさ”
BBQ、タコパ、誕生日会などなど・・・。
心開ける友人たちや家族と食卓を囲んで
「これうまっ!!!」
とか声出しあって食べる食事って美味しく感じませんか?
疲れ切った夜、一人でラーメンすするのと、
疲れ切った夜、仲間と一緒にうま〜って言い合いながらラーメンすするのと
両方のシーンをイメージして、どっちがおいしそうな画に見えますかね?
ほとんどの人は、誰かと食を囲んでいる時の方がおいしそうに映るんじゃないかな〜。
そういう、食べる環境から感じられるおいしさもあるなって思ってます。
食から得られる幸福に対しての”閾値(いきち)”が低い人が最初の仲間!?
僕が思う、”おいしさ”のカテゴリを ここまでで整理してきましたが、
”食”を通しておいしさの提案をしているサービスは、おおよそのところで上記3つのカテゴリのどれか、あるいは複合的に合わせ技でおいしさを提案していると分析してみて思います。
そして、そのおいしさの提案が多くのファンを生み出しているサービスに共通している特に大事なこととは、
自分たちが表現したいおいしさを感じる閾値が低い人たち(言い換えると”おいしさ”に敏感な人たち)を最初のユーザーさん、インフルエンサー、仲間としていること
年代とか性別とかではなく、おいしさに対しての閾値という切り口でユーザーさんを集めたり、仲間を集めていく ことが、”おいしさ”を提案していく上で大事になってくる事業の進め方だなと思っている今日この頃です。
【15分ブログ 60日目 起業したら”疲労”が逆転したというお話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
さあ、意味不明なタイトルかましてすみません、初っ端から笑
ここ最近、Twitter界隈では
#起業しろ
のハッシュタグがバズっていて、タイムラインが”起業全面押し”祭りに。
個人的には”起業”って自己表現の方法の一つだと思っていて。
特に僕ら20代前半かつ地方での起業家って増えているもののなかなかいないポジション。
”起業”ってだけでめちゃユニークな自己表現方法になって
いろんな人に見てもらえやすいので起業っていいなと思っています。
ただし!
起業のいい面ばっかり言ってヨイショしすぎやん!
もっと別の面もあるやん!
と思うのです。
他の人に話したい苦労話って起業した人なら誰しもあると思うんです。
ただ、それって
結構地味なものだったりする&ポジティブな印象与えにくい
ので呟きたくてもSNSとかで呟けないんすよね
(実体験笑)
なので、あんまり表立って起業の地味な側面って見えてこないんだろうなって思ってます。
やからこそ、ここでは起業後のシビアな瞬間とかも積極的に発信していこうかなって思います。
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タイトルの話、
【”疲労”が逆転した】
とは。
簡単にいうと、
【会社員時代は精神的な疲労が多かったが、起業後は肉体的な疲労が多くなった】
ということですね。
誤解のないように言っておくと
会社員時代がつまらなかったという話ではないです。
”会社に勤める”
ということの特性上、精神的な疲労の方が多くなるのではと思うということです。
どういうことか。
会社っていろんな人が関わっています。
同僚、上司、会社全体、株主、クライアント、サービス受益者などなど。
その分、いろんな論理が行き交い、自分が大事にしたい論理とは違うところで自らの行動を決めていかなくてはいけない場面がどうしたって出てくるって思うんです。
自分が立ち上げた会社ではない、創業近くからいたわけでもない
となると余計自分の論理とかでは仕事はできないですよね。
僕の場合、大事にしたい僕個人の価値観や考え方が強すぎるあまりに
その”自分の声”に沿って生きることがしにくくなると、とても精神に負担がくる気質でした。
言い方変えれば、すごく自分勝手笑
でも、起業後はフルスロットル自分の人生。
起業=自己表現
だからこそ目の前の景色をいい方にも、悪い方にも動かすのは自分の論理。
(今後大きくなっていけばいろんな論理の中で生きていくことにはなりますが。)
でもでも。
目の前の景色を変えようにも、今の自分には武器が少ない。
RPGでいうところの”ボロの剣”くらいしか手持ちにない。
だから、何で勝負するのか?
それは、行動量、そこから稼げる経験値。
故に起業後は、精神的な疲労が減ったけど、その分(もしくはそれ以上に)肉体的な疲労が増える。
そんな気がしてます。
顔が疲れている!
って言われないように、心身ともにバチばちに元気に過ごしたいものです。
というか過ごせるように毎日の生活を気をつけようっと。
【15分ブログ 59日目 やってしまったというお話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
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やってしまった・・・・・。
書いてた記事内容が消えてしまった・・・。。。。。
毎日更新することは決めているので
<記事が消えてしまったことすら記事にしてしまう>
スタンスでブログを更新しよう、そう思い書いています。
”記事を消してしまったことからの学び”
を書こうとしてますが、いかんせんダメージが大きい笑
今日は静かに筆をおきます。
これだけ薄い内容のブログもありとする、そんな僕のブログをよろしくお願いいたします。
【15分ブログ 58日目 ”値切る”ということのお話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
本格的に”梅雨っ!!!”という感じの天気になってきましたね・・・。
朝起きて雲ばっかりの天気を見ると
「・・・・・・。」
ちょっとテンションが上がらないのはあるあるですかね。。
さて、今日は八百屋さんをやっているとこれまたあるあるの
”おまけつけて攻撃”と”値切り攻撃”について笑
ちょっと、あんた、私〇〇(遠い場所でした)から来たんよね〜。ちょっとおまけしてや〜。
え、高いわ〜。安くしてくれたら買うのに。。。
安くできるんでしょ、実は笑
(ちょっと静かにしててください)
正直にいうと、そういうお客様は相手にしていません。
もちろん、無下にコミュニケーションして
その空間が楽しいものじゃなくなることが一番嫌なので
要望を飲むことはありますが、二度と相手にしません。
僕がそうする理由はシンプルです。
その言葉が発する時点で、価格という数字に一番の関心点があり、
農家さんのお話やお野菜がこの場に来るまでの背景のお話ができない
からです。
お客様は誰しも
目に見える情報
手に触ってわかる情報
耳で聞いてわかる情報
五感で感じ取った情報をもとにして”なぜそのお野菜が美味しいのか”を一瞬のうちに吟味していると思っています。
(この辺りの話はまた別の時に詳細に書きたいです)
「このお野菜、美味しい!はず!!」
って思った時、そして実際に食べて見て美味しいと感じてくださった場合にご購入してくださるのですが、
その”美味しいかもしれない”という予測に対して
”値段”という数字はとてもわかりやすい判断材料なのでお客様の心を掴む、
そのグリップ力がとても強いんですね。
美味しさは目に見えない価値で、しかも食べてみないと分からない
それ単体を見定めるってすごく難しいですよね。
だからこそ、値段という数字に美味しさが置き換えられることで
他の場所で売っているお野菜やこれまで買ったことのあるお野菜の美味しさと容易に比較することができて、
購買の判断材料になる”美味しいかもしれない予測”の精度をあげることができる。
なので、”値段”というもののお野菜購買における影響力って高いんだと思うんですね。
確かに、値段は美味しい理由を探す上で必要な観点ですし、僕も多用しています。
だからこそ値段の話になること自体にはなんの論点もないです。
ただし、”値段”の判断基準が美味しい予測をする上で一番にする八百屋ではいたくない、そういうことなんです。
この農家さんのこういうこだわりがあるから美味しい
この農家さんのこういう人柄があるから美味しい
ここが一番優先される判断基準になった時に初めて僕らmocchiの訴えたかった価値を届ける一端がスタートします。
農家さんと食べ手の距離を0にする
ことで増える食卓の豊かさがあるし、農業現場の課題へ入り込んでいくこともできる。
その信念はブラさず、”値切り”には一切対応しないで八百屋さんをしていきます。
【15分ブログ 57日目 値決めをずらすっていう話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
いきなりですが、
先週のお野菜宅配と露店販売の売り上げ公開します。
というのも、
どんな記事やったら読んでてためになりそう?
お金のこと、知りたいっす
はい。
やっぱりその辺が一番わかりやすくて、かつ気になる所ですよね笑
ということで、今回はお野菜宅配・露店販売という最上級に儲けにくいビジネスモデルを実践してみての売り上げを公開します。
経験も知識もないけど、何か小さいお商売やりたい!
けれど収入面が心配という方、元気でますぜい。
気になる売り上げは?
(ドラムロール)
ドゥルルルルルルルル
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バン!!
#1週間売り上げ
¥45,147
月曜日(10:00~15:00) ¥20,699-
*平均単価:¥940-
金曜日(10:00~20:30) ¥24,448-
*平均単価:¥1,164-
実際のところ、費用がものすごく掛かっているので
実は手元に残る純粋な利益は数千円単位です、毎週笑
なので、最近の主食はコスパがいいちくわと納豆です。
いつかこのちくわと納豆を思い出してきっと泣いてしまう。
(似たタイトルのドラマあったな〜)
がっつり小売業をしているのは毎週月曜日と金曜日のみで
それ以外の曜日は打ち合わせやWebサービス構築を行なっています。
(それっぽく言ってみたかったことをお許しください)
気に入ってくださって複数回買ってくださる方が8割以上のmocchiのお野菜。
”お客様と売り手”
そんな関係を超えて気兼ねなくお野菜を通じてお話しできるこの関係性、
すごく好きですし、それ以上にいつも会いに来てくれる・お野菜を通して話をしてくれる皆さんのことが大好きです。
新規開拓率よりもリピート率を大事にしているので
僕としては思想に則って八百屋さん出来ているかなという所です。
いやはや”値決め”よ・・・。
とはいえ、どうしても薄利になってしまう、野菜の小売。
なんで薄利になってしまうの?
Google叩いて調べればいくらでも理由は出て来ますが。
実際に八百屋をやってみての僕の分析では、
”市場価格の幅が狭いが故に売り手が設定できる”値決め”の範囲も狭い”
ことが根本やと思っています。
人参1本 10,000円
こんな人参あり得ませんよね。
むしろあったとしても買いませんよね。
シンプルにそういうことです。
つまり、お野菜というものの特徴として
日常の生活に頻度多く登場するものであるが故に、頻繁に消費行動が行われる
→故に需要サイドの”一回の消費行動にかかる金額はできる限り安くしたい”という欲求は強く、更に価格の上下動に敏感になる
ということだと思っています。
お野菜は有形なので、費用は一定かかって来ますし、
絶対的な市場の価格として天井が存在するので、
お野菜の小売業は付加価値をつけられたとして、
その天井付近をうろうろするしかない。
となると、どうしても薄利になりがちなのです。
では、mocchiはどうするのか?
値決めする領域をずらします。
つまり、お野菜宅配や販売といった小売業に依拠しない事業体を取るということですね!
僕自身が得意で評価していただける、
<食・農業の領域での>
・文字のお仕事(コピーライター的なこと)
・可愛らしい、朗らかなデザインのお仕事
・ファンづくりのお仕事
この領域を中心にしながら今年はお仕事を増やしていき、
農家さんと食べ手の距離を0にしていきます。
上記3つのどれかに興味持たれた方、お役に立てることあれば何でもご相談ください!
【15分ブログ 56日目 露店販売の数字も出しつつ、”農家さんの語り部”の意味を考えるお話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
今日も朝5時くらいから神戸の農家さんの元を回ってお野菜をいただき、
露店販売しておりました。
いやはや・・・・。
今日は・・・・。
暑すぎるっ!!!!!!!
雪国生まれの僕にとっては相当こたえる気温。
もう少し、夏よ、待ってくれ。
リピートの方が7割以上
そんな暑さもあり、
今日は特に来ていただけるお客様の人数がグッと少なかった、そんな1日でした。
<11:00~17:00の稼働時間>
お客様数合計:15名(平均値はだいたい20名前後)
1時間あたり平均お客様数:約2名
いや〜、だって暑いですし、外を出歩くのも億劫になりますよね。
露店販売をしている場所は阪急御影駅という駅から歩いて5分くらいの場所なので
微妙に遠いんです。
ましてや、この近辺の地域では
小学校の運動会がこの時期にあるらしく、月曜日が代休とのこと。
なおのこと家でゆっくり過ごしたり、むしろ遠出したりするので
お野菜買おうとはなかなかならない。
(↑いつも買ってくださるママさんが教えてくれました)
そんな中で来てくださったお客様。
よくよく振り返ってみると、知った顔の方ばっかりでした。
お客様15人中11人の方が2回目以上のお客様
割合にして70%以上
お子さんがこの前よりも少し大きくなっていらっしゃったり、
服装が前よりも夏服に近づいていらっしゃたり、
病院にいく時間帯が変わっていらっしゃったり。
「あのツルツルのきゅうり、何もつけなくても濃くて美味しかったわ!」
「あらー、いちご無くなっちゃったの?美味しかったわー」
本当に、本当に感謝です。ありがとうございます。
お客様との会話の中で見えた”語り部”の価値とは?
常連のお客様との会話が多かったこともあり、
今日は特に”農家さんの語り部”として
・農家さんの人柄
・こだわり
・立ち振る舞い
・エピソード
をお客様とお話しする時間が多かったんです。
やっぱり会話をするのは本当に楽しい・・・。
その時間の中でふと気づいたことがあったんです。
「蒸し風呂みたいなビニールハウスで、体力どんどん減るんですよ」
「雑草生えんように畝ごとに丁寧に土を起こしたりするんですよ」
実際に僕自身がお手伝いで経験した農作業の大変さや苦労。
この話をする、そして、その大変な作業の時の農家さんの表情やかけてくれた言葉、その作業の時に交わした会話をありのままに話す。
意図的にこれをしようとしているわけではなく、
自然と会話の中に入っているのですが、
このお話をするとお客様が前のめりになって、グッと聞いてくださるんです。
そして、
「それは美味しいはずだわ」
と言葉にしてくださる。
苦労とか困難、大変な部分ってわかってもらいたいけれど、
こと自分の話になると人には言いづらいもの。
同情を誘うみたいに映ってしまうし。
でも、この部分にこそ農業のリアルが映し出されているし、
その瞬間の合間合間に見せる農家さんの表情や言葉にこそ
”大変だけど農業を仕事にしている理由”が農家さんごとに滲んでくる
そう思うんです。
そこにこそ、食卓が、その目の前のお野菜がもっと美味しく感じて
幸せが増すヒントが隠れている、そう思うんです。
そして、これは農家さん自身ではなく、
そこを農家さんの自己認知以上に語れる第三者がいて初めて伝達可能となる。
僕はそこにこそ”農家さんの語り部”の存在価値がある、そう感じました。
しっかり反芻して、消化しよう。
【15分ブログ 55日目 僕ら20代の仕事観をちょっと考えてみたっていう話】
暑い、暑すぎる。。。
今日は寝苦しい夜になりそう、、、
こんばんは、じゅんです。
今日はいろんな人の働くに触れたのでこんな話を。
僕らにとっての”仕事”って?
特に僕ら20代(こと20代前半)の仕事の捉え方って
”その仕事って、誰のためになってるの?”
の先にあります。
さらに言うと、これは僕の完璧な主観ですが、
”誰か”
の指し示す範囲が社会規模、未来軸に広がってきているなと感じます。
空間軸と時間軸の両方において広く、先へと
考えるポイントが広がってきているな〜と。
*これまで*
「あのブランドの車欲しいから、仕事やったんぞ」
「あそこのうまい寿司食べたいから、仕事やったんぞ」
*ここ最近*
「食べ物に困っている人がいるのに、食べ物を無駄するのはよくない!」
「不当に安い労働力で作られた服ではない、エシカルな物を広めなきゃ」
「このままいくと食料枯渇になるから、新しい消費のシステムを!」
もちろん
これまでの仕事観をひとまとめに論じることはできなくて
今僕らが住んでいるこの社会を作ってきた先人たちは
紛れもなく社会軸、未来軸への志が広く、深かったんだと思います。
だからこそ偶然ではなく、必然の結果として社会を作ってきた。
自分の幸せ=?
自分軸で仕事をすることに反論なんてないです。
誰だって根本を辿れば自分の幸せのために仕事を選択しておりますから。
僕もうまいもん食べたいし、ゆっくりとした時間を過ごしたいから仕事を頑張るところはありますし。
むしろ”自分の幸福のために仕事をする”は人間の本質で代わり得ないと思います。
ただ、変わってきたのは
<自己の幸福=社会の幸福・未来の幸福>
になってきたのかなと。
その理由は色々あると思いますが、間違いなく影響しているのはネットの力。
・気軽に日本はもとより世界の情報をリアルタイムに収集することができるようになり、世界と私の距離感が0距離になったこと。
・有識者の直の言葉に触れられるので、自分の見聞の域を超えて現実に即した精度の高い情報に基づく未来予測に触れることができるようになった
などなど。
当事者意識の高まりの秘密はこの辺にあるんじゃないかなって
自分の体験からも思います。
だからこそ僕らが気をつけないといけないこと
ろくに現実の社会を知らないのに知ったかぶりになること
だと思います。
ネットで拾ってきた情報で楽をするのではなく、
むしろ
「その情報ってほんまかいな?」
と疑ってかかって、自分でも調べにいく。
ネット駆使してすべきことは
ショートカット
ではなくて、
精度の高い仮説構築
かなと思うのです。
幸せにしたいと思う相手の表情が見えてきて、声も聞こえてくる。
そんな状態にまで輪郭を鮮明にしたいものです。