【僕はすごく弱い人間だった】【64話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
「じゅんさん、最近ブログサボってますよね?」
後輩に言われた、その一言。
一瞬で冷や汗が滝のように出てきました。
ば、ばれてる・・・・。
はい、すみません、サボってました。
これ書いたら読んでくれる人のためになるかな?
って考えれば考えるほど、筆を取るのが億劫になってしまっていて、ぶっちゃけです。
ただ、しょうもないのでもリアルが感じられれば読みたいと言ってくださる、心やさしき方が多いので、その方達のご好意に甘えて気軽に書いていくことにしました。
何事も小さな一歩から。
自分に甘く言い聞かせてもいいかな・・・。
さて、今回は”最近情緒不安定だぜ”っていう話です。
僕をよく知っている方々からすると、
「いやいや、そんなわけあるかい」
となるかなと思うのですが。(ごく一部の人は僕の豆腐メンタルをご存知かなと・・・。)
僕、”できる感”とか”しっかりしている感”がよく外に漏れるらしいのですが。
実は中身はそんなことありません。
もちろん、責任感とかなんでもやったるぞっていう腹くくり感は強くあるのですが、
それよりも”不安”とか”寂しさ”とかにやたらめったら押しつぶされる人間です。
ぶっちゃけ起業してからさらに拍車がかかりました。
「好きなことを仕事にしてれば、好きなことやし没頭して楽しいやろ!」
「好きなことして生きていこうぜ」
割とやばいです、これ笑
好きなことを仕事にしていても、そんなん関係なかったです。
1年間自分を追い込みすぎず、疲れたときにはYoutubeで乃木坂見たりしながらマイペースに仕事してても、そんなん関係なかったです。
不安やばいです。豆腐メンタルぐらぐらです。
企業に勤めていた時の1年間の方が不安とかなかったし、
やばい、俺生きていけるんかなっていう自分の生存事態に不安を感じることもなかったです。
そして、勤め人からなんも実績もスキルもない状態で起業家となってみて、一番僕の豆腐メンタルを震わせるのは、
「俺が起業している価値ってほんまにあるんかな」っていう、
”自分の存在価値揺らぎます”問題。
これ直面すると、不安と焦りと怖さのトリオがうわ~って迫ってきますね笑
そして、直面する時が夜の時間帯だとこれまたダメージがでかい・・・。
夜にやってくんなよ・・・。
寝る間際、Twitter、インスタ、Facebookをさ~っと流し読みするんです。
すると、同世代の人の
・会社で〇〇賞取りました
・こんなでかいことやりました
・こんなプロジェクトを有名な団体(人)と始めました
・今度〇〇に店出します
っていう成果報告がたくさんあるんですよね。
見るからに超うまそうな肉の写真とか、笑顔弾けて旅行行っている写真とかもたっくさんありますね。
同じ起業家で僕より若い子が行政とか、キーマンと一緒に仕事している写真とかもあります。
やっぱりスワイプする指が止まっちゃいます。
自分と比べちゃいます。
すごく嬉しい気持ちになります。
でもそれは一瞬です。
そのあとで悔しさと虚しさとが嬉しさの何倍もおっきくなってぐわっと襲ってきます。
ほんまに人間できている人は、こういうときでも嬉しさが増すんですよね、きっと。
でもぶっちゃけ、僕は嬉しさが何よりも勝るってないです、いまは。
そして、明確な現状への焦りと漠然とした未来への不安を胸にぐっと押さえ込んで、
「でもさ、喜んでくれるお客さんたくさんおるやん。ついてきてくれる仲間おるやん。アドバイスくれる農家さん、行政の方、社会人の方おるやん。どんなときでも味方のパートナーおるやん。」
「いける、いけるぞ。」
「くそったれ、俺。絶対に見返したるぞ」(誰を見返すのか謎です)
そう言い聞かせて、朝を迎えます。
そんな繰り返しです。
mocchiの価値はどこにあるのか、佐々木純の価値はどこにあるのか、這いずり回って探してます。
まだその輪郭はぼやっとしてます。
でも、絶対に見つけます。
這いずり回ってでも自分から求めに行かなきゃ、絶対に手にすることができない気がするんです。
僕がおっさんになって、このブログを読み返したとき、ちょうどそのときにいまの僕と同じくもがいている人がおったらそっと背中を押してあげられるかっこいい起業家になっていられるように。
今日は明るく眠りにつけそうです。
【農業と食卓の間に立ちたいという人へ】【63話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
今日は、
「農家さんのためになることがしたい!」
と思っている人向けのあれこれです。
題して!
↓最近、こんな感じでいろんな人とのご縁をいただくんです↓
農業の課題についてどう思いますか?
課題に対してどんな働きかけをしてるんですか?
ものすごく嬉しいです、ほんまに。
話しましょ、話しましょ!ってなります。
だって、会話の切り出しからすでに”農業の課題”についての話です。
農業って日常生活からどうしたって遠い世界なので
(特に僕らの世代は)そもそも関心を持つ人数すら少ない・・・。
そんな中で、自分から情報収集しようと動いていく仲間がいるなんて
なんと心強いことか・・。
実はtalikiさんにインタビュー掲載してもらってましたhttps://t.co/rKmAxmafJJ
— じゅん@mocchi 農家さんの語り部 (@1008Sigotonin) 2018年6月19日
この記事経由で「話してみたいです!」という声をもらえるので、すごくありがたいです。
今日も大学院で専門的に土壌研究していて、今後プログラマーになりそうなすごく人としても好きな女性の方に会えたし!#taliki
こういった、”社会課題”のような小難しそうなものをポップにわかりやすく発信してくれるメディアさんがあるからこその潮流かなと思います。
さてさて。
本題に戻します。
最近の農業周りの傾向というか流行り
農業の課題についてどうしよう!とか
農家さんのために〜〜したい!とかの相談やディスカッションが一番多いのですが、
最近特に
”農家さんと食べる人たちの間のポジション”
に立ちたいと思う人が増えてきています。
テクノロジーの進歩により
農業の現場と物理的距離が離れてしまっている現代でも
より手軽に農業現場の実態や困っていることが手に取るように把握することができるようになったことが、この流行りの大きな要因かなと思っています。
この傾向自体は本当に歓迎すべき事。
むしろもっともっと大きなうねりにしなくては。
僕自身も言ったら”間のポジション”を仕事にしている人間。
そこを生業にしてます。
ただ、だからこそこの潮流にちょっとした危機感も持っています。
それはというと。
間に立とうとするものの農家側の目線が欠如している問題
語弊を恐れずにいうと、
農家さんと食べる人たちの間に立ってやろうと意気込んでいることが
農家さんにとっては”余計なお節介”になっていないかという事。
先にも触れたようにネットなどを駆使して農業を取り巻くいろんな状況に手軽にアクセスできるようになった結果として農業への興味関心、問題意識も芽生えてきました。
ただ、その情報ってほんまにそうなん?って疑うことを忘れがちだと思うんです。
こと農業は地域の特性がとっても色濃く反映される産業。
故にネットで転がっている課題がまるっきり当てはまることなんかそうそう無いです。
稼いでいる農家さんが多い地域、とてもファッション性があり同時に哲学を体現している農家さんが多い地域だってあります。
「どこの地域の、だれ(農家さん)のために、何をしたいねん」
「その農家さんの現場にどれだけ足運んだん?何を見たん?感じたん?」
その問いがぼやっとしたままだと、良かれと思ってやったことが農家さんのためにもならず、非常に悲しい自己満足で終わるな〜って感じてます。
自己満足だからビジネスとしても成立しにく。
仕事にならない。
変えられるものも変えられない。
or ではなく。and で取りに行く
だからこそ農家さんと食べる人たちの間に立って
両者に価値を残したいって思うのであれば、意識的に畑に文字通り体当たりする。
気持ち農家さん側に比重を重くして、情報収集する。
これがマストやなって思います。
そして、その畑にて五感で感じた農業の問題点や可能性を
一消費者として眺めてみる。
どの農家さんの笑顔を見たいのか、どの消費者の方の笑顔を見たいのか。
間に立つものとして、農家さん側の生活にも、消費者側の生活にも
両方にどっぷり入り込んで観察し続けよう。
そんな覚悟が”あいだ”を仕事として農家さんの語り部をする、僕の大事にしていることであり、mocchiがこれからも変わらずにずっと大事にしたいことです。
【イベント疲れになってませんかね】【イベント開催疲れになりがちな人向けのあれこれの話】【62話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
ここんとこ毎週のようにイベント続きでした。
はい、ブログ書けてませんでした。。。
反省。
今回は、
”イベント疲れ現象”
について書きたいな〜と。
継続性(=日常でよく使われること)
に重きを置く”事業”とは真逆の
単発(=非日常感)
になりがちなものが”イベント”という出し物・・・。
PV数や利益額などの数的な分析は前の記事みたいな形で書くことにして
今日はイベント行うときに抜けがちな観点を1つだけ書きたいなって思います。
最近のイベントあれこれについて
さて、mocchiとしてここ最近でやったのはこんなイベントたちでした。
〓6/10 お野菜のおいしい食べ方セミナー
<おいしいお野菜って?>
というお題でママさん、お子さん、栄養面に関心がある方向けにお話ししてきました。
〓6/17 Jazz食堂
<農家さんの語り部×Jazzの化学反応を見て見たい>
そんな直感に従ってやってみたこの企画。
お野菜の作り手である農家さん
お料理の作り手
音楽の作り手それぞれの”作り手”さんを伝えていきます、触れていきます。
手元の参加費は誰を豊かにするのか。その相手は実は隣にいる人だった。
そんな空間です、Jazz食堂。
このイベントたち、計二日間を通じて全く初めましての50人の方々に
僕が大好きな農家さんの人柄やお野菜への工夫、豆知識なんかをお伝えできたのですが・・・!
こんだけ労力かけたのに全然うまくいってなくないか?
来て頂いた方には満面の笑顔で帰ってもらえたんです。
最高の時間を過ごしていただこうとがっつり本気で臨んだんです。
(自分で言うのもアレですが、大目にみてください。。)
でもですね、不完全燃焼感がふつふつと。
何か主催でイベントやったことある人は
あ〜、わかるわかる〜。
となってくれるんじゃないかなって思います。
その不完全燃焼の正体はこれっ!
全く利益が出ない現象
イベント疲れ現象って?
はい、もうど定番ですかね。
どんなに意義のあることをしていても。
どんなに
「イベントって広報の機会やから先行投資としてやろうや!」
ってなっても。
次回以降にさらに投資して、グッとレベルアップしたイベントを継続的にできるほど利益が出なければ、全く意味がありません。
なぜなら、人や社会の挙動は一回の働きかけで変わるほど単純なものではないから。
本当に変えたいこと、訴えたいこと、届けたいことがあるなら何回も何回も提案し続けなければいけないから。
自己満足イベント
現状維持=死
ですね。
そして、利益が出ない状態でイベントをやっていくとどうなるか・・。
前回以上のクオリティのものを提供し続けることが資金的にも体力的にもしんどくなり、疲れてしまい、結局単発のイベントでThe End。
それ以降、
イベントってそういうもんでしょ
となり、イベントすること自体が億劫になってくる。色々、The End。
これが”イベント疲れ”とよんでいる現象です。
これになってしまう原因っていくつかあると思うんですが、
僕の体験談として
「あ〜、この観点よく抜けがちだよな」
ってやつがあります。
それは、
自分が提供している価値への適正な”値決め”ができておらず(①)、
その値を”自分への人件費”として計上しないままに話を進めてしまう(②)
①値決め下手くそ現象
フリーランスでやっている方は必ずといっていいほどぶち当たる壁じゃないかなと思います。この壁。分厚いのう・・。
自分がやっていることって、いくらの価値があるんだろう?
っていう質問への答えですよね。
「ん〜〜、わからんやん。」
正直、僕、こんな感想です。
農家さんの語り部として語った言葉、話した物語にどれほどの価値があったのか。
特に無形の価値としての”人の心を動かす”ことにアプローチしているので
特に値決めが難しいんです。。
なので、僕は今後イベントやるとなった時には、
- イベントターゲットのペルソナに近い人を見つける
- その人にイベントのエッセンス版を体験してもらう
- いくらやったらこのイベント参加するか”迷わず参加”、”参加微妙”、”参加しない”の線引きで金額を聞く
ってことをやろうって思ってます。
イベントの準備って当日使う資料作ったり、関係各所と調整したりが多いですが、
意外と行わない&超重要な準備というのが、このイベントどれくらいの価値があるの?を見定める準備なんちゃうかな〜?
反省反省。改善改善。。
②自分の人件費ガン無視問題
①の問題と連鎖的に起こるのですが、イベントの諸経費はめちゃくちゃ計算する割に
- イベント準備にて行うアクションの工数
- イベント当日の自分の動く工数
をザル勘定で計算して当日の参加費を決めがちやな〜と。
ここがぼやっとしていると、絶対に利益は出ないですよね。そりゃ。
僕の場合、意義や大義名分、社会的価値、来てくださる方の効用最大化を優先してしまいがちで、絶対に足元で重要になってくるこのお金という観点が薄くなりがち。
イベントの参加費を決定する際には超慎重に、超ロジカルに頭最高に働かせないとあとあと首を締めることになるなと。
自分たちがかける工数を数字に落として、値決めで出て来た数字を掛け合わせて、自分の人件費をあぶり出す、これマストですね。
すごく思いが熱くて、哲学もあって、まっすぐな人ほどイベント疲れしちゃうなって思ってます。
なんかすごく悲しいですよね。
せっかくいいもの持っているのに。
イベント疲れという病気にかかって道半ばで力尽きて倒れないように、
一回一回のイベントから得られる学びを最大化しなくてはと
改めて気が引き締まりました。
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【”食べる”を生業にする八百屋の僕が”おいしい”を科学してみた話】【61話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
今日は、
「食を通じて〜〜〜したい!!」
という人に向けてのブログです。
その名も・・・・。
【”食べる”を生業にする八百屋の僕が”おいしい”を科学してみた話】
美味しいっていう感情はよく聞く表現で、あちこちで耳にして、目にしますが。
僕は八百屋で、お客様の”美味しい”の感情に寄り添ってお野菜をお届けしているので特に起業してからは”美味しい”ってなんやねんということを考えてきました。
今日は、ありふれている”美味しい”という感情をちょっと分析してみました。
僕なりの考えは、
美味しいには3種類あるぞ!!
さて、参りましょう。
1:五感から感じる”おいしさ”
見て、香って、聞いて、触って、口に入れてみる。
そのそれぞれで感じることのできるおいしさが一番イメージつくものじゃないかなって思います。
一番身近なおいしさ。
そして、これは僕なりの解釈なのですが、
<見る、香る、聞く、触る>
によって想起されるおいしさに結びつく感情は
<口に入れる>
ことで最終的に感じるおいしさを増す役割があると思っています。
例)炊きたての白米
見る:ホカホカと湯気が立つお米の姿から感じる
香る:炊きたての甘〜いお米の香りから感じる
聞く:炊き上がる時の”ふつふつ”の音から感じる
触る:しゃもじでよそった時のホワホワの感触から感じる
口に入れる:しっかり立った粒と噛むたびの甘さから感じる
つまり、簡単にいうと
見る、香る、聞く、触る=おいしそう
であって、
口に入れる=おいしい
であるっていう感じかな〜
なので、五感で感じるおいしさとして必須の条件は
”口に入れて舌の味覚を刺激すること”
であって、それ以外の要素は必ずしも必要ではない。
このおいしさの特徴は
瞬間的に感じる
バチっと一気に刺激がくるから分かりやすいものなのかなと思っています。
2:脳・心理から感じる”おいしさ”
このカテゴリの美味しさをmocchiでは提供しようとしてるんですよね。
”このおにぎり、風邪ひいたおばあちゃんが早起きしてわざわざ作ってくれてん”
"このきゅうり、猛暑のハウスの中、手間惜しまず○○さんが作ってくれたんよね"
旨味や甘さ、苦さといった数値的な美味しさはもしかしたらコンビニで売っているものと変わらないかもしれない。
ただ、その手の平にある食べ物が持っている、ここに届くまでの物語に自分を思いやる”誰か”の愛情・思いやりが含まれていて、
それに食べる側が心動かされ、じんわりと「うま〜〜・・・・。」と心がしみる。
そんな想像力を掻き立てる、言い換えると脳や心理を刺激するおいしさもあるなって思うんですよね。
このおいしさを感じるには、そもそも論として
・”想像力を働かせるスイッチ”として食べ物が持っている物語を語れる人や仕組み(動画など)
・想像力を働かせるくらいには十分な心の余裕
・想像力を働かせるくらいには十分な時間的余裕
が必要だからこそ、現代の生活ではあまりこのおいしさは感じにくく、逆にこのおいしさを知っている僕らmocchiは「届けたい、このおいしさ!」となっているんだなと思います。
3:環境から感じる”おいしさ”
BBQ、タコパ、誕生日会などなど・・・。
心開ける友人たちや家族と食卓を囲んで
「これうまっ!!!」
とか声出しあって食べる食事って美味しく感じませんか?
疲れ切った夜、一人でラーメンすするのと、
疲れ切った夜、仲間と一緒にうま〜って言い合いながらラーメンすするのと
両方のシーンをイメージして、どっちがおいしそうな画に見えますかね?
ほとんどの人は、誰かと食を囲んでいる時の方がおいしそうに映るんじゃないかな〜。
そういう、食べる環境から感じられるおいしさもあるなって思ってます。
食から得られる幸福に対しての”閾値(いきち)”が低い人が最初の仲間!?
僕が思う、”おいしさ”のカテゴリを ここまでで整理してきましたが、
”食”を通しておいしさの提案をしているサービスは、おおよそのところで上記3つのカテゴリのどれか、あるいは複合的に合わせ技でおいしさを提案していると分析してみて思います。
そして、そのおいしさの提案が多くのファンを生み出しているサービスに共通している特に大事なこととは、
自分たちが表現したいおいしさを感じる閾値が低い人たち(言い換えると”おいしさ”に敏感な人たち)を最初のユーザーさん、インフルエンサー、仲間としていること
年代とか性別とかではなく、おいしさに対しての閾値という切り口でユーザーさんを集めたり、仲間を集めていく ことが、”おいしさ”を提案していく上で大事になってくる事業の進め方だなと思っている今日この頃です。
【15分ブログ 60日目 起業したら”疲労”が逆転したというお話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
さあ、意味不明なタイトルかましてすみません、初っ端から笑
ここ最近、Twitter界隈では
#起業しろ
のハッシュタグがバズっていて、タイムラインが”起業全面押し”祭りに。
個人的には”起業”って自己表現の方法の一つだと思っていて。
特に僕ら20代前半かつ地方での起業家って増えているもののなかなかいないポジション。
”起業”ってだけでめちゃユニークな自己表現方法になって
いろんな人に見てもらえやすいので起業っていいなと思っています。
ただし!
起業のいい面ばっかり言ってヨイショしすぎやん!
もっと別の面もあるやん!
と思うのです。
他の人に話したい苦労話って起業した人なら誰しもあると思うんです。
ただ、それって
結構地味なものだったりする&ポジティブな印象与えにくい
ので呟きたくてもSNSとかで呟けないんすよね
(実体験笑)
なので、あんまり表立って起業の地味な側面って見えてこないんだろうなって思ってます。
やからこそ、ここでは起業後のシビアな瞬間とかも積極的に発信していこうかなって思います。
==========================
タイトルの話、
【”疲労”が逆転した】
とは。
簡単にいうと、
【会社員時代は精神的な疲労が多かったが、起業後は肉体的な疲労が多くなった】
ということですね。
誤解のないように言っておくと
会社員時代がつまらなかったという話ではないです。
”会社に勤める”
ということの特性上、精神的な疲労の方が多くなるのではと思うということです。
どういうことか。
会社っていろんな人が関わっています。
同僚、上司、会社全体、株主、クライアント、サービス受益者などなど。
その分、いろんな論理が行き交い、自分が大事にしたい論理とは違うところで自らの行動を決めていかなくてはいけない場面がどうしたって出てくるって思うんです。
自分が立ち上げた会社ではない、創業近くからいたわけでもない
となると余計自分の論理とかでは仕事はできないですよね。
僕の場合、大事にしたい僕個人の価値観や考え方が強すぎるあまりに
その”自分の声”に沿って生きることがしにくくなると、とても精神に負担がくる気質でした。
言い方変えれば、すごく自分勝手笑
でも、起業後はフルスロットル自分の人生。
起業=自己表現
だからこそ目の前の景色をいい方にも、悪い方にも動かすのは自分の論理。
(今後大きくなっていけばいろんな論理の中で生きていくことにはなりますが。)
でもでも。
目の前の景色を変えようにも、今の自分には武器が少ない。
RPGでいうところの”ボロの剣”くらいしか手持ちにない。
だから、何で勝負するのか?
それは、行動量、そこから稼げる経験値。
故に起業後は、精神的な疲労が減ったけど、その分(もしくはそれ以上に)肉体的な疲労が増える。
そんな気がしてます。
顔が疲れている!
って言われないように、心身ともにバチばちに元気に過ごしたいものです。
というか過ごせるように毎日の生活を気をつけようっと。
【15分ブログ 59日目 やってしまったというお話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
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やってしまった・・・・・。
書いてた記事内容が消えてしまった・・・。。。。。
毎日更新することは決めているので
<記事が消えてしまったことすら記事にしてしまう>
スタンスでブログを更新しよう、そう思い書いています。
”記事を消してしまったことからの学び”
を書こうとしてますが、いかんせんダメージが大きい笑
今日は静かに筆をおきます。
これだけ薄い内容のブログもありとする、そんな僕のブログをよろしくお願いいたします。
【15分ブログ 58日目 ”値切る”ということのお話】
こんばんは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。
本格的に”梅雨っ!!!”という感じの天気になってきましたね・・・。
朝起きて雲ばっかりの天気を見ると
「・・・・・・。」
ちょっとテンションが上がらないのはあるあるですかね。。
さて、今日は八百屋さんをやっているとこれまたあるあるの
”おまけつけて攻撃”と”値切り攻撃”について笑
ちょっと、あんた、私〇〇(遠い場所でした)から来たんよね〜。ちょっとおまけしてや〜。
え、高いわ〜。安くしてくれたら買うのに。。。
安くできるんでしょ、実は笑
(ちょっと静かにしててください)
正直にいうと、そういうお客様は相手にしていません。
もちろん、無下にコミュニケーションして
その空間が楽しいものじゃなくなることが一番嫌なので
要望を飲むことはありますが、二度と相手にしません。
僕がそうする理由はシンプルです。
その言葉が発する時点で、価格という数字に一番の関心点があり、
農家さんのお話やお野菜がこの場に来るまでの背景のお話ができない
からです。
お客様は誰しも
目に見える情報
手に触ってわかる情報
耳で聞いてわかる情報
五感で感じ取った情報をもとにして”なぜそのお野菜が美味しいのか”を一瞬のうちに吟味していると思っています。
(この辺りの話はまた別の時に詳細に書きたいです)
「このお野菜、美味しい!はず!!」
って思った時、そして実際に食べて見て美味しいと感じてくださった場合にご購入してくださるのですが、
その”美味しいかもしれない”という予測に対して
”値段”という数字はとてもわかりやすい判断材料なのでお客様の心を掴む、
そのグリップ力がとても強いんですね。
美味しさは目に見えない価値で、しかも食べてみないと分からない
それ単体を見定めるってすごく難しいですよね。
だからこそ、値段という数字に美味しさが置き換えられることで
他の場所で売っているお野菜やこれまで買ったことのあるお野菜の美味しさと容易に比較することができて、
購買の判断材料になる”美味しいかもしれない予測”の精度をあげることができる。
なので、”値段”というもののお野菜購買における影響力って高いんだと思うんですね。
確かに、値段は美味しい理由を探す上で必要な観点ですし、僕も多用しています。
だからこそ値段の話になること自体にはなんの論点もないです。
ただし、”値段”の判断基準が美味しい予測をする上で一番にする八百屋ではいたくない、そういうことなんです。
この農家さんのこういうこだわりがあるから美味しい
この農家さんのこういう人柄があるから美味しい
ここが一番優先される判断基準になった時に初めて僕らmocchiの訴えたかった価値を届ける一端がスタートします。
農家さんと食べ手の距離を0にする
ことで増える食卓の豊かさがあるし、農業現場の課題へ入り込んでいくこともできる。
その信念はブラさず、”値切り”には一切対応しないで八百屋さんをしていきます。