”たべる”でいきる。

すべてのお野菜を通じて、今よりもほんのちょっとだけ幸せな食を創っていきたい、24歳八百屋の日記です。

【無意識で太い針は確かに静か】【69話】

こんにちは、じゅん(@mocchi農家さんの語り部)です。

 

 

今日はエッセイ調でつらつらと。

 

想像する読み手は将来の自分と今苦境に立つ人たち。

こういう文章は自己満上等で書き殴っていきます。

 

 

 

 

ミジンコ

「ああ、この人は僕の存在すら何も気にしてないな。目の前にいるのに。」

 

そう感じることは少なくない。

その時の僕は、心の内にそのひと時で生まれることになった渦巻く感情をひた隠し、幾度かは殺し、挨拶をして次の予定に向かう。

 

この時ほど惨めで、悔しくて、自分という存在のミジンコさに頬を打たれることはない。

多分、それはそよ風でしかないが、僕にとっては足元をぐらつかせるに十分なほど威力のある拳だったりする。

 

太い針

 

言葉、表情、目の動き、姿勢。

 

それらは時に無意識の太い針となって、静かに、誰にも見えず、でも確かに僕にだけ見えるその形をとって。

恐れを与える間も無く、瞬間で僕の心に届いてしまう。

 

 

 

傲慢だ。

 

相手がじゃない。

僕がだ。

 

 

常日頃、社会に自分という存在を晒し、

「自分は何の価値を社会、目の前の人に提供できているのか」を問われ、

その度ごとに危うく揺らぐ。

 

その渦中で自分という存在を心にとどめておく為には

どうしたって”自尊心・プライド”が必要になってくる。

 

まだまだ道半ば。

社会を実際によりよく動かした実績もない。

そんな自分はわかっている。

けれど、その現実を一旦置いておいて、

理想の自分に添わせて、下駄を履かせて、ちょっとばかし大きく自己認知して、帳尻をとっている。

そんな自分もいる。

 

 

 

だからなんだ。

 

「何で自分に注意を払ってくれないんだろう」

下駄を履いた自分を持ち出すから、そんな風に心の奥底、どこか見えないところでそう思っているんだ。

 

等しくエゴに。

 

冷静に見ろよ。

まだまだ未熟で、未完の野郎なのが現実。

そいつが他者からの目を気にしていてどうする。

まずは自分の存在を証明しよう。

他ならぬ自分のために。

等しくエゴに。

 

 

隣の芝生が青く見えたり、時にいろんな感情が渦巻いて

不安になり、落ち着かなくなるのもそりゃわかるけど。

それを気にしていて自分は熟するのか。

 

 

死なない限り生きていける。

 

明日も息をしているはず。

大きく息を吸い込んで、グッと踏み込んで、足元一歩踏み出していこう。